IE9ピン留め

プロテスタント宣教150周年について

お風呂が沸くまでの間にちょっと一言。

本日職場でプロテスタント宣教150周年の話が出ましたが、ほぼ全員が敵の場で、しかも時間がなくて発言することができませんでした。あーあ、CHICKENなわたくし。本当はこれを何も知らない皆さんの前でハッキリ伝えたかったのに。わかってくれそうな方々にだけこっそり資料をお渡ししましたが、どうも物足りないので物申す。

結論から申し上げると150周年の基点を何年にするか?ということがその人の立場を表明することに繋がるってことなんですな。プロテスタント最初の宣教師である英国国教会のベッテルハイムが那覇港に着いたのは1846年4月30日。長崎と横浜にアメリカから宣教師が着いたのが1859年。150周年を祝う人たちは、沖縄に最初の宣教師が到着していることを知っていながら、なぜか1859年から数えて、50周年や100周年もお祝いしてるのです。なんで?

それは、以下の理由からだそうです。(「日本伝道150年記念行事」に対する九州教区の見解 日本基督教団九州教区のブログ から抜粋。)

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 『教団新報』第4644号(2008年2月9日)によれば、2009年を「日本伝道150年」として記念することについての「日本伝道150年記念行事準備委員会」の見解は、以下の通りである。
①「日本基督教団成立の沿革」において、一八五九年を、わが国における福音主義キリスト教の伝道開始年としている。
②それ以前のベッテルハイムの沖縄伝道を「日本伝道開始」とすべきではないかとの意見があるが、その時点では沖縄は琉球であって日本国の一部ではなかった。
③日本の諸教会が一八五九年を起点として宣教五〇年、百年を祝ってきた歴史を踏まえる必要がある。
④五〇年、百年の時点で「宣教」が用いられていたのは、外国ミッションからの宣教師たちの働きを覚えてのことだったと思われる。現在は日本人による自立伝道の時代であることを踏まえ、日本「伝道」一五〇年とすることが相応しい。

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なんじゃそりゃ。
沖縄は琉球王国であって日本国ではないって、そもそも近代国家「日本」が形成されたのは明治以降じゃないのか?江戸時代末期に果たして今のような「日本」という概念があったのか?しかも、1609年に日本の薩摩藩の侵攻を受けて以後は、薩摩藩による実質的な支配下に入っていて、ベッテルハイムが沖縄伝道した時点ではこの方々がおっしゃる「日本」の制度が適用されていたんだよね。つまり薩摩藩の指示で琉球王国も徳川幕府のキリシタン禁制があった。これでも「日本」ではないと?

だいたい、現代の「日本」から見ての宣教の始まりなんだから、今は沖縄は日本なんだからさ、そこに宣教師が来たことを初めにするほうが妥当だと思うんだけど。それでも嫌なら、「日本宣教」にしないで、沖縄へ163年、本土へ150年とかにすればいいじゃん。もともと日本じゃなかったとか言うならさ。

この150周年の人たちは、自分たちのサイト 日本プロテスタント宣教150周年記念大会 でこう書いてる時点で完全に矛盾してると思います。

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既に1846年にベッテルハイムが沖縄(琉球)に来日し、聖書を琉球語に翻訳するなど、宣教活動に尽力しておりました。

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なぜその宣教活動を基点としないんだろう?ね。自分たちの都合のいいように沖縄を日本にしたりしなかったり。これは酷いと思うよ。まったくもって、イライラした。以下、参考にさせてもらったブログです。

バナナはおやつに入りますか?日本人クリスチャンから、クリスチャンと日本人へ。

随想 吉祥寺の森から 世の平和を願い、緑深い、ここ吉祥寺のことなど・・・

沖縄フィールドワーク〜軍事占領・キリスト教史・地域文化研究



by wing-sonora | 2009-12-02 23:54


杜の都出身。睡眠と散歩と小さい映画と珈琲とチョコレートと雑誌とJAZZとネットが好き。変わっている自覚はないAB型。


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